京都地方裁判所 昭和44年(人)4号 判決 1969年12月27日
請求者
X
代理人
下光軍二
石川恵美子
拘束者
Y
代理人
吉川幸三郎
横溝善正
被拘束者
Z
代理人
坂元和夫
主文
請求者の請求を棄却し、被拘束者を拘束者に引渡す。本件手続費用は請求者の負担とする。
事実《省略》
理由
一(一) 左の事実については当事者間に争いがない。
(1) 請求者は拘束者夫婦の長女であり、拘束者の養子Aと昭和三〇年五月結婚式を挙げ、同年六月二二日婚姻の届出を了した。
被拘束者は昭和三五年一〇月二〇日請求者とAの間の次女として出生し、現在満九歳で○○市所在××小学校三年在学中である。なお請求者とAの間には、被拘束者の外、昭和三二年八月二九日生の長女R子がある。
(2) 請求者は昭和四四年四月下旬以来、A方を離れて生活しつつ被拘束者を監護教育してきた。
(3) その後、請求者は、Aを相手方としてまず昭和四四年六月一四日横浜家庭裁判所に婚姻費用分担の調停申立をなしたが、同年九月一八日右調停は不調に終り、審判が開始されることになつた。
その際Aは、請求者に対し、被拘束者の養育費を支出することに同意し、とりあえず二回にわたつて金一万円宛送金した。
次いで請求者は同年一〇月二八日相手方の性的不能、愛情喪失、性格不一致等を理由に、同裁判所に離婚の調停の申立をなし、その第一回期日は同年一二月四日に指定されていた。
(4) 然るにAは同年一一月二一日午後二時頃、請求者に無断で小学校の授業時間中に被拘束者を呼び出し、これを連れ去つた
(5) そこで請求者は被拘束者の所在が判らぬまま、同月二五日横浜地方裁判所にAを債務者として、被拘束者を請求者に即時引渡すことを命ずる仮処分命令の申請をなし、翌二六日右仮処分命令を得、次いで同年一二月三日Aを拘束者として同裁判所に人身保護請求の申立をなし(同裁判所昭和四四年(人)第二号)、同月四日人身保護命令を得たうえ、被拘束者の所在を知るため、現拘束者に問い合せる外、同月七日新聞広告を出す等したけれどもその効なく、ようやく同月九日同裁判所における人身保護請求事件において被拘束者が拘束者方で監護されていることを知り、同裁判所に対する人身保護請求を取り下げた。
(6) 現在、拘束者はその肩書住居において被拘束者を監護している。
(二) 右事実によれば、被拘束者は満九歳になつたばかりの小学校三年の児童であつて、既にそれ相当の認識能力、理解力、判断力を具えているとはいえ、社会通念上の分別能力を充分に具備しているものということはできず、未だ意思能力のない者であると言わざるを得ない。そして、本件の如く、自活能力も、広汎な活動能力もない児童が、本来の生活の本拠地である横浜から、遠隔の地である京都に連れられて監護されているような場合には、当然身体の自由が制限されているものと言い得るのであつて、その監護自体を、人身保護法及び同規則にいわゆる拘束と解する妨げない。
二<証拠>によれば左の事実が認められる。
(1) 拘束者は頼山陽の直系五代目にあたり夫婦ともに頼家の家風を維持、承継してゆくことを強く願うあまり、男子がなかつたことから、長女である請求者が高等学校を卒業すると間もなくAを請求者の婿養子に迎え、請求者の婚姻を主導的に進める一方、婚姻後は請求者とAに対し、頼家の家風を受け継がせるため種々苦心した。そのためこれに反発する若夫婦との間は次第に冷淡になり、時には善意も誤解を生む結果となるような状態で、最近数年間は親子の間柄も疏遠となり、特に請求者と拘束者夫婦との激しい感情的対立が続き、Aはその板挾みとなつている。更に活発な性格の請求者は、おとなしい性格のAに飽き足らず、家庭生活、夫婦生活に関する憤満を鬱積させてきた。
(2) そして、昭和四四年四月下旬、請求者とAとは夫婦喧嘩をして激しく言い争い、居合せたKがその仲裁に入り、極度に興奮した請求者を暫く同人方に引き取ることにしてその場が収まつた。
(3) その二、三日後、請求者とKとがAの留守宅を訪れ当座の身の廻り品を持ち出すとともに、子供達も連れて行く用意をしているところへ、偶然Aが帰宅し、再び夫婦の言い争いになつた。その挙句、そのときの子供等の気持に沿うてR子はそのままA方にとどめ、請求者は、被拘束者のみ引き連れてK方へ移つた。
(4) その後請求者は、被拘束者を連れて、K方、H方、F方に順次短期間寄寓した後、肩書住居に落ち着き、Aは、暫時R子と共に旧来の住居に居住した後同年八月前後に実弟G方に寄寓することになつた。
右認定事実によれば、昭和四四年四月下旬以降、請求者が被拘束者と、AがR子と、各別に生活してきたのは、単に事実上子の監護権を各別に行使してきたというにすぎず、請求者とAとの間において、子の監護者を定める何等かの協議が確定的に成立したと認めることはできない。
三<証拠>によれば左の事実が認められる。
(1) 請求者は、Iの紹介でH方に一時寄寓することになつた同年五月初めの約一週間及び、同人方から他へ転居した後も時々、H方にIと宿泊する等し、衆目をして、二人の間に不倫な関係があるのではないかと疑わしめるような、多分に誤解を招き易い行動をしていた。
(2) Aは、同年七月、子供達の学期末に××小学校を訪れた際に、校長から、同校五年在学中のR子は同年四月以降明るい性格になり、学業成績も向上し健康的になつてきたのに反し、被拘束者は、請求者と生活するようになつてから、学業成績が低下し、非衛生的になつたこと、忘れ物や宿題をやつてこないことが多くなつたこと等の注意を受け、請求者が母親としての細やかな愛情を被拘束者に注いでいないのではないかとの疑をもつに至つたが、更に同年一一月に入つて、請求者が離婚の調停の申立をしたことを知つた後、請求者が従来からIと不倫な関係にあることを聞かされ、その情報の確認をしたうえ、自己も離婚の決意を固めた。
(3) また、Aは、Hから早急に被拘束者を連れ戻すべき旨勧告されるとともに、自らも、被拘束者が請求者の前記のような環境に放置されることはその教育上も憂慮すべきことであるばかりか、極めて不幸なことであると判断し、A自身が被拘束者を監護教育する決意を固め、同年一一月二一日××小学校長及び担任の教師の賛意と協力を得て、被拘束者をして暫くの間学校を休ませることとし、直ちに家に連れ帰つた。Aは同月二三日京都の拘束者方に赴き拘束者夫婦外、実弟、義姉妹を交えて被拘束者の処遇について相談し、結局被拘束者を暫くの間拘束者方に預けて監護して貰うこととし、翌二四日、実弟Gの妻に被拘束者を京都へ送り届けさせ、以来、被拘束者は拘束者方で監護されるに至つた。
以上の認定に反する<証拠>はいずれも採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
四右認定の事実によれば、被拘束者は、請求者とAの共同親権に服するものであるところ、Aは請求者を排して、親権者として独占的に自己の居所指定権、監護権を行使し、被拘束者の祖父にあたる拘束者にその監護を依頼したものと認められるので、結局拘束者の被拘束者に対する本件拘束は、親権者の一人であるAの意思にもとづくものということができる。しかるときは本件は夫婦の一方が他方に対し共同親権に服する児童の引渡を請求する場合と何等選ぶところがなく、その請求の要件である顕著な拘束の違法性の判断については、誰が被拘束者を監護するのが児童にとつてより幸福であるかを主眼とすべきである。
五ところで、<証拠>によれば左の事実が認められる。
(1) 被拘束者は、拘束者方で周囲の人によく馴染み、拘束者方が留守になるときは、自動車で五ないし一〇分の距離にある、拘束者の次女(請求者の妹)C方に預けられるなどしながら、健康で屈託なく暮らしており、学業については、拘束者の妻M又は、右Cが面倒をみている。また、拘束者夫婦は、被拘束者監護の期間が長びくならば、家庭教師を付し、更には、附近にある××小学校と同系統のカソリック系の学校に転入学させることも考え、その手続も容易にできるように手配している。
また拘束者方は経済力もあり、住居にも余裕があり、被拘束者を孫として可愛がり場合によつては、今後ずつと、養育をしてもよいと考えている一方、Aから請求があれば、いつでもこれを引渡す積りでいる。
(2) Aは現在R子と共に実弟Gの一室の提供を受け、R子は年齢も近く、同じくカソリック系の学校に通つているGの子供二人と仲良く暮らしている。G方は、部屋数も相当あり狭隘で困るという程ではないが、従来から増築をする計画があつたところなので、Aの寄寓を契機に直ちにこれを実行することにし、現在地均らしを終え、来春増築に着手できるように大工の手配もしている。そして、この増築が済めばAは被拘束者を引取る積りでいる。
(3) 請求者は、昭和四四年四月下旬A方を立去つて以来、ピアノの教師をして生計を立て最近は、週三回、自動車を駆つて、弟子の家を回り、昼頃から、夕方五時半ないし六時頃まで家を空ける外は家におり、月収は約三万円である。
しかしながら、請求者の現住マンションの賃料は一ケ月金二万五千円程度で、この外に自動車の維持費、食費等を考えると、右収入の外に、他からの援助がなければ到底、現在の生活を維持することは困難である。
(4) 被拘束者は、前認定の請求者とIとの多分に疑惑を招き易い行動について種々直感的な疑問を抱いて子供なりの判断をしており、本件に関連する週刊紙の報道等についてもかなりの認識を有し、外出を嫌い、人目を避けるようなこともあつた。
(5) 拘束者は、頼家の家風を重んじ、従来、自己の子供の教育、躾も自己の意に叶うように努力してきた極めて厳格な人柄であつたけれども、最近では従来の如き厳格な態度を反省し始めており、被請求者に対しても、その自由意思をできるだけ尊重する決意を固めている。
六被拘束者は満九歳の小学校三年の児童である。そして、この年代は暖かい円満な家庭生活と、義務教育を通じての健全な人間形成及び社会化がなされなくてはならない重要な時期であることはいうまでもない。そのような時期にある被拘束者が自己に責任のない両親紛争の渦中に引き込まれ、社会、就中マスコミ関係者から好寄の目を向けられる等、その無垢の心に深い影を投げかけられていることは極めて不幸なことであり、被拘束者のためには、一日も早く両親の離婚問題が解決され、子の監護についての結論が出され、然る後に、物心両面で落ち着いた親の元に引き戻されることが望ましいことである。
請求者は、前記認定のとおり厳格な拘束者に養育されて、精神的な苦汁を味つてきた体験から被拘束者が、長く拘束者のもとに監護されるときは、同様な不幸に陥ると危惧し、又母としての愛情から自分の手許に引取ることを痛切に念願していることが認められ、当裁判所としても、その心情は充分に理解することが出来る。
しかしながら、親権者であるAが、被拘束者を連れ出したのは、前認定の如く、被拘束者をその憂慮すべき環境から抜け出させたいという配慮からであり、又、被拘束者を連れ去るにあたつても学校側の教育的見地からの賛意と、将来の教育上の配慮を得て、穏便になしているのであつて、その奪取の態様並びにその目的に特に不法と認むべきものはない。更には、監護の依頼を受けた拘束者が前認定のとおり被拘束者の祖父であつて、その環境も良好であるに反して、請求者の生活は、いまだに安定したものとは認められないので、請求者とAとの離婚問題が最終的に解決されるまでの暫定的な処置として、現状もやむを得ないと考えられる。従つて拘束者による被拘束者の監護状況をもつて、人身保護法にいわゆる拘束が違法になされていることが顕著な場合に該当すると認めることは困難である。
よつて、請求者の請求は理由がないから、これを棄却し、手続費用の負担につき、人身保護法一七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(久米川正和 高極史朗 久保内卓亜)